web2.0バブルとは何だったのか

web2.0はある意味バブルであった。
セコイア・キャピタルのプレゼンが示す通り、サブプライム問題がトリガーではあったが、ネットのスタートアップにもようやく冬が到来しつつある。
http://www.slideshare.net/eldon/sequoia-capital-on-startups-and-the-economic-downturn-presentation?type=powerpoint


今の不景気を一時的なものと見るか、これまでをバブルと見るか。僕は後者と見るべきだと思う。
いずれにしても、web2.0が全くカネにならないどころか、投資対象としても魅力的でなくなったという事実に目を背けてはならない。「web2.0のビジネスモデルは買収されることだ。」とよく言われたが、投資対象としての魅力が薄れた今ではそれさえもほぼ実現不可能である。バブルから目が覚めた今、マーケット(買う側)もweb2.0のどの部分に価値を見いだすべきか、説明ができなくなっている。


一体、web2.0バブルとは何だったのか。少しだけ整理をしたい。


第一に、情報とは何か。「チープ革命」によって、インターネット上で何かを作ることのコストは極限まで下がった。人はそれを「情報量が無限になった」と言うが、その表現は正確性を欠く。情報量が無限になったのではなく、情報の複製コストがゼロになったのだ。
情報は今でも有限である。ここで言う情報とは、人間が作りだすものであり、情報の生産者以外にとって価値があるものを言う。CGMに代表されるものに掲載される「情報らしきもの」の大半は、生産者以外にとっては価値が無いものであり、情報ではない。つまり、インフラ側の進化に人間の生産性が追いつかなかったというのが本質である。


第二に、attentionとは何か。web2.0時代の経済は"attention economy"だとも言われた。attentionとは本質的には時間である。人間がメディアに費やす時間の総量というものがweb2.0時代における本質的な資源であり、その資源を争って獲得するという競争がされてきた。ところが、インターネットで費やされる時間は増加傾向にあるとは言え、メディアの増加の方が遥かに早くなった、というのがweb2.0のもたらした現象である。
いくら検索エンジンが進化し、情報の取捨選択が行いやすくなったとはいえ、メディアあたりに費やされる時間は分散する。有限な時間をめぐる過剰競争により、ポータルサイトなどの旧来インターネットメディアに比べて、CGMは一つのメディアあたりの情報のS/N比が大きくなりにくくなってしまった。メディアで費やされる時間とそのメディアの価値の関係は単純に比例するものではない。むしろ、消費時間が増えるほど、価値は指数的に増大する。その中で、メディアが乱立し、S/N比が低くなり、さらにメディアが乱立するという状況は悪循環以外のなにものでもない、という見方もできる。


僕がweb2.0に感じる違和感とはこのようなものだ。こう書くと、web2.0という代物は、世の中を不幸にするものに見えてしまうが、そう見えるのも仕方ないかもしれない。事実、今年誕生したサービスを見ても、これらの問題を解決できるほどのサービスがいくつ生まれたであろうか。日本からはもちろん、シリコンバレーでも同じに見える。


僕たちは、この違和感を超えるものを作り出すことができるだろうか。
答えは今でもよく分からないけど、これまでと同じことをしてもダメだということだけははっきりと認識しておきたいと思った。