なぜ、テレビはネットを嫌うのか

楽天・TBS問題が世間を騒がせている。ライブドア・フジテレビの時も同じだったが、特にテレビ側の反発がもの凄い。テレビ側の主張を聞くと、ついつい「おじさんたち、ちゃんと商法の勉強してくださいよ。上場することの意味とか、株主と経営者の関係とか今じゃ、大学生でも知ってるよ。」と言いたくなってしまう。とはいえ、マスメディアの報道をみれば、テレビ側を擁護するものばかりである。もちろん、報道する人の多くは、テレビ側であるわけだから、こうなるのも理解できるけれど、一体どういうメカニズムなのか、を少し考察したい。

崩せる牙城と崩せない牙城

テレビとネットは未来永劫、融合できないのだろうか。報道を見ているとついついこんなことを考えてしまう。少し視点を変えて、出版とネットは融合できないのだろうか、音楽販売とネットは融合できないのだろうか、ということを考えてみてほしい。この2つに関しても、5年前だったら、「絶対にNo」と言う人がほとんどだったのではないだろうか。

アマゾンは「Search Inside the Book」というサービスを2年前にリリースして、書籍の中身をオンラインで提供することを始めた。アップルは「iTunes Music Store」というサービスを2年前(3年前?)に始めて、オンラインで楽曲をデータで購入できるようにした。どちらも世間からは歓迎されているようにも見えるが、ではアマゾンCEOのジェフ・ベゾスは出版社を、アップルCEOのスティーブ・ジョブズはレーベル会社をどのように口説いたのだろうか。そして、堀江、三木谷の両氏はどうしてテレビ局を口説くのに苦戦しているのだろうか。

もちろん、日本と欧米の文化の違い、創業者のバックグラウンドの違い、などいろいろな意見があるだろうが、ここではこれらは考えずに、産業構造という視点で考察したい。

ゼロサムとプラスサム

産業には、全員が決まったパイを奪い合う「ゼロサム」型と、パイ自体を拡大できる「プラスサム」型があると思う。一国の経済政策を考えてほしい。例えば、金融政策、貿易政策(外交政策)というのは、世界中のマネーサプライが一定である限り、本質的に「ゼロサム」型のゲームになる。他方、特定の産業政策に関しては、特に先端分野であればあるほど「プラスサム」型のゲームになる。

ここで、現在のテレビ産業とネット産業を考えたい。テレビ産業というのは、電波を与えられた業者のみが営むことができる。日本国内に限れば、人口急増(世帯数急増)があり得ない限りは、ゼロサムゲームだ。ここでゼロサムと言っているのは、「テレビを流して、その間にCMという広告を挟むビジネス」に限っては、という意味だ。(テレビを見る時間×テレビを見る人)の総和が一定である限り、広告単価が急増、急減することは考えにくく、そのためこの産業はゼロサムゲームにならざるを得ない。チャンネル数は一定で、テレビ産業全体としての広告もほぼ一定であるから、如何に自社の視聴率を他社のそれよりも上げるのかということが競争戦略の基本となる。

他方、ネット産業に関しては、現状ではプラスサムである。国民全体にネットが行き届いているわけではないし、仮に全体にネットが行き届いたとしても、インターネットの性質上、資本が投入され、サーバーを増やして、回線を太くさえすれば、原理的には無限に何でもできてしまうことになる。こうした環境下で、ネット企業はネット以前のサービスの一部をオンライン化したり、ネットがなければできなかったようなサービスを提供しており、破竹の勢いで拡大を続けている。

僕がテレビとネットが融合できそうにないなぁと思ってしまう一番の原因はゼロサム志向の人に、プラスサムの発想で話をしようとしているからだとついつい考えてしまった。ゼロサム志向の人たちは自分たちの「何か」を他人に奪われるのを必要以上に嫌う傾向にあるらしい。よく考えれば当然だ。もともと「資源は有限で...」というところから経営戦略を考える人たちなのだ。良いか悪いかは別にして、その人たちの株式を購入すれば、反射的に防衛本能が働くのではないだろうか。(注:決して、経営者が株主を批判することを肯定しているわけではありません。)

冒頭にアマゾンとアップルの例を出したけれど、この両社はゼロサム構造に近かった出版業界、音楽業界の人たちに、必死に「プラスサム」の思想を浸透させていって、「実は、おたくの業界はもう頭打ちかもしれませんけど、うちと一緒になればプラスサムにできる可能性がありますよ。」ということをずっと長い時間をかけて説得したのではないだろうか。ゼロサム志向の経営者であっても、一旦プラスサムにできると思えば、経済合理性からプラスサム志向になるというのは当然だ。今ネット企業がテレビに対して行っている提案にはこの発想が欠けているのではないだろうかと思ってしまうのだ。

資本主義というのは、循環を基盤にした成長、というたわいもない原則に支えられていると思う。新しく産業が生まれ、成長し、衰退していく。そして、そこでは次の新しい産業がまた生まれる。この繰り返しで経済というものが、市場競争によって清浄されているようにも思う。こう書くと、「古いものは新しいものによって駆逐される」というイメージを持ちがちだけど、「古いものを取り込みながら成長する新しいもの」というものをベゾスやジョブズが示してくれているような気がしてならない。

ネグロポンテ・スイッチの意味

さて、話をテレビ、ネットに戻そう。放送と通信の代表格であるこれら2つの産業に関しては、MITメディアラボ創設者のネグロポンテが2000年に彼の自著、「ビーイング・デジタル」で次のようなことを言っている。

通信は無線に、放送は有線にシフトする。

2005年に表面化したテレビ・ネットの産業構造の問題を、2000年の時点で、しかもこんなにシンプルな言葉で言っているのだから、ネグロポンテは本当にすごいと思う。そして、彼のこのメッセーじは、電波利権の再配布で、産業構造を転換させて、もっとリッチな情報社会を手に入れよう、というメッセージに聞こえてならない。後は誰が、いつ、どのような方法でこれを実現するのか、だけが焦点のような気がする。