いつも本気なアマゾン

2005/11/04、アマゾンがまたすごいことをしてくれた。
http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000047715,20090189,00.htm

「書籍の電子版を有料提供へ」ということだが、より詳しくは、

Amazonの新たなプログラム「Amazon Pages」では、1冊の書籍全体もしくは任意の部分を有料で読むことが可能になる。同社はさらに、ユーザーが追加料金を支払うことで、Amazonから購入した通常の書籍に電子的にアクセスできるようになる、「Amazon Upgrade」プログラムも発表した。

とのことだ。

アマゾンが本の全文検索「Search Inside the Book」の英語版を発表したのがちょうど2年前である。2年越しで本丸に突入したという具合と見たい。

ビジネスモデルの変革

このサービスの何がすごいのだろうか。技術自体は「Search Inside the Book」とほぼ同じで、本の全文を検索するというものであるから、2年前から存在していた。もちろん本を実際にスキャンして、OCRで文字認識させて、DBに格納するというサービス自体もとても技術的に大変なことではあるが、アマゾンからすれば、そんなことは既に2年前に解決済みだ、ということだ。僕は、このサービスは「出版業界のモジュール化」だと考えたい。

PC業界を思い出してほしい。ウィンテル連合が、ハードウェアのパーツを分解して組み立てられるように設計し、インテルがCPUを、OSをマイクロソフトが独占して、かつ、業界全体が潤うようなロードマップを描いた。もちろん、アマゾンの主商品は本であって、CPUやOSとは違うし、アマゾンは自社で製品を製造するわけでもないからその点ももちろん異なる。ただ、業界へ与える影響という意味では、非常に似ている点もあるのではないか。

もう少し具体的に考えてみよう。本というのは、著者が原稿を書き、出版社が編集、製本し、流通者が書店に並べ、書店が販売し、図書館が貯蔵するというバリューチェーンで構成されていた。アマゾンはこれまで、流通:書店に並べる、書店:販売というチェーンを奪っていった。そして、今回のこのサービスで出版社:製本、図書館:貯蔵というものの概念そのものを根本的に変えてしまうような気がしてならない。

出版社の製本という「パッケージ化」の価値はますます低くなるだろう。かつてのIBMがそうであったかのようだ。このサービスが一般化されるであろう数年後には、出版社の役割というものは、優れた執筆者を確保する「モデルエージェンシー業」、編集という行為で本を加工していく「マーケティング機能」、そしてそれらから生み出される「ブランド機能」の3つのみに限定されるだろう。「製本機能」に関しては何ら価値を生まなくなる。(もっとも現在も出版社の大きな価値の源泉は上記3つだから、出版社本社機能は健全なのかもしれないけど、その系列企業が苦しむことになりそうだから、グループ全体としてはやっぱり大変なのかなぁとも思う。)

また、興味深いのが図書館の価値の変遷ということだ。もはや図書館が不要になるのだろう。膨大な量の書籍全文がオンラインで検索でき、購入でき、閲覧できるのであれば、図書館自体は「骨董品の倉庫」という美術館と同じ役割になっていくのかもしれない。きっと20年後の子供たちは、「お父さんたちは、昔は本という重たいもので文章を読んでいたんだね。よくあんなの持ち運んでいたね。」と言うのではないか。

自分の本棚をアマゾンに預けるという感覚

次は、ネットサービスという観点でこのサービスを考えてみたい。「アマゾンはあなたの本棚を全部管理してあげますよ」と言っているように聞こえて仕方ない。

アマゾンで本を買うとその履歴が管理される。本の実物そのものは発送されたりしなかったりするのだろうけど、過去に買った本の中身をいつでも「全文検索」できる。そして、必要に応じて印刷したり、図書館に本を探しに行けばよい。極端な言い方かもしれないが、自宅で本の実物を持つ必要が無くなることになる。もう僕たちは購入した本を狭い東京の自宅に積み上げる必要はなく、一度読んだら捨ててしまっても、例えどこに何が書いてあったのかを正確に覚えていなくても、必要な時にアマゾンが助けてくれるのだ。薄暗い図書館で台車に乗って汗をかきながら本を探す機会が劇的に少なくなるのだ。アマゾン内に自分用にパーソナライズされた本棚を持っているかのようだ。

どうしてこのようなことが可能になるのか。それはアマゾンが「世界中の全ての本の全文データを一括して管理します」と言ってくれているからだ。web2.0的と言えばweb2.0的なのかもしれないが、情報を「あちら側」に置くことによって、情報管理コストが圧倒的に下がるという典型例だろう。

いや、web2.0とはやや異なるのかもしれない。iTMSも同じだが、これまでは到底ネットでは提供されなかったものが、ネットで提供できるようにするこうした試みを何と呼べば良いのだろうか。

GooglePrintとの違い

GooglePrintとこのサービスの違いは何だろうか。著作権だ。GooglePrintは著作権を解放する方向に向かっている。他方、アマゾンのこのサービスは著作権を守りながら、データをオープンにしていく。このあたりがiTMSの時のジョブズ、今回のベゾスのすごいところだと感心するのだけれど、既存の業界人の価値観を刺激しないギリギリのラインでサービスを提供していることだ。

もう一つ、グーグル vs アマゾンという構図で見るとさらに興味深い。これまでアマゾンは、「書籍データをオープンにして、ウェブサービスを通して『アマゾン・フランチャイズ』を作ってもらい、アマゾンでの決済を増やす」という戦略を採ってきたが、これはグーグルをインフラとして使ってきた部分が大きいように思う。データをオープンにした結果、多数のサイトからアマゾン内の商品ページへのリンクが張られ、その結果としてグーグル上でのランクが上がる、という循環が成り立っていた。ところが、今回は「情報は有料か無料か」という点でグーグルvsアマゾンという構図が成り立ってしまった。もちろん、扱う情報の種類が異なるのだろうけれども、この構図がこれからどうなるのかは目が離せないだろう。

知的生産の競争が激化する

大学にいると肌で感じることができるのだが、学者の中には「この分野のことなら何でも知っている人」というのが存在する。分からないことがあって聞きに行くと、「あー、それならあの本の●●章に書いてあるからそこを読むといいよ」という具合に教えてくれる。本当にどれだけメモリが大きいのかと感心させられてしまうくらいにその分野のことは何でも知っている。

アマゾンのこのサービスが本格化されれば、こうした人のメモリというのはあまり価値を持たなくなってしまう。ここで注意したいのは、こういう人の価値が無くなるということではない。そこまである分野に精通した人なら、ほぼ必ずその人にしかできない新しい解釈や考察というものをしてくれるからだ。

ここで言いたいことは、プロの価値が下がるという類のことではない。プロになるための時間が圧倒的に短縮される。これまでは20代は研究室にこもって毎日たくさんの論文と本を読んで、ようやく20代後半にPh.Dを取って、というキャリアが専門家には必要だったのかもしれないが、専門家になるための時間は圧倒的に短縮されるだろう。その結果、何か起こるのか。専門家としての解釈、考察という部分に価値が集約されるから、専門家同士の競争が激化するのではないか、ということだ。

今よりもずっと情報リッチになるけど、その分、その環境下で価値を出すのは大変だよ、というサービスなのかもしれない。

(と思って書いていたら、梅田さんの過去のエントリーと似たようなことに到達してしまいました。苦
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20050622


いずれにしても、僕はこうしたサービスを休みなく提供してくれる「本気な」アマゾンが大好きです。