「シリコンバレー精神」(3):結局、Googleはインターネット産業を正しい方向に導いたのか

シリコンバレー精神」シリーズ三回目です。今日はGoogleについて。


第1回目で、

1996-2001年というのは、インターネット企業が新興し始め、絶頂期を迎え、その後バブルが崩壊した5年間であると思う。

と書いたけれど、この5年間は今思えば、「インターネットで万能薬みたいにすごそうだ!」から始まり「やっぱりダメかもね。」に至った5年間であると思う。「シリコンバレー精神」では、Googleはその5年間の間コツコツと最新の研究開発成果を実装してビジネスの原型をこっそりと作っていた、というように表現されている。

今から振返れば、そのGoogleが2004年に巨大なIPOをして、「なんだかんだ言ってみたけど、やっぱりインターネットってすごそうだ」となり、オライリーweb2.0という造語まで造らせるに至ったのだと改めて思う。それによって、シリコンバレーが再度注目を浴びることになったのだけど(、さらにそれによって「シリコンバレー精神」という本も売れると思うわけだけど)、今のこの「Google的なものは素晴らしい」という風潮が良いのかどうか、ということを考えてしまった。


いろいろ考えた中での僕の結論は、やっぱりGoogle的なものは「素晴らしい」ということだった。もちろん、Googleが創ろうとしている世界観にはおっかない部分もあるし、Googleの思想や成し遂げてきたことが完璧だとは思わない。でも、やっぱり「技術革新によって産み出されるものにこそ本質的な価値がある」という人類の歴史の中で培われた経験則をインターネット産業の世界にも浸透させた、という一点において僕はGoogle的なものは「素晴らしい」と思うのだ。

鉄道を考えてみて欲しい。僕たちの祖先に「移動時間の短縮」という恩恵を直接的に与えてくれたのは、実際に鉄道を引いた「鉄道会社」かもしれない。でも、「蒸気機関を発明した人」がいなければ、そもそも「移動時間の短縮」なんて成し得なかった。「鉄道会社」なんて誰でも出来るから価値がないと言いたい訳じゃない。ここで言いたいことは、「蒸気機関を発明した人」がいなければ「鉄道会社」も存在し得なくて、その結果、僕たちの生活は豊かにならなかった、ということだ。


だからGoogle的なものを僕が素晴らしいと思うのは、「技術革新によって産み出されるものがあってこそ始めて、僕たちは豊かになれる」という歴史的に普遍な事実をインターネット産業にももたらしてくれたことだと思う。だからきっと僕はインターネット産業はこれからまだまだ発展すると信じられるような気がする。