「シリコンバレー精神」:インターネット産業の根底にある思想は「テクノロジー偏愛主義」だ。

梅田さんのシリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)を読んだ。
正確には、ハードカバーの時に一度読んでいたから、再読したことになる。たしか、最初に読んだのは2004年だったと思うから、実に2年ぶりに再読したことになる。


本書の大部分は5年以上前に書かれたものだから、内容的には古いものもある。しかし、逆に考えるとこの本で描かれる1996-2001年という5年間のインターネット業界の歴史を記した本は他に無いだろう。十分に文庫化される価値がある本であると感じたと共に、これが700円以下で買えるということは素直に喜ぶべきことだと感じた。

1996-2001年というのは、インターネット企業が新興し始め、絶頂期を迎え、その後バブルが崩壊した5年間であると思う。
ウェブ進化論」が未来志向の啓蒙図書であるとすれば、本書はインターネット産業がよちよち歩きだった時期の事実を記した貴重な歴史書であると言うのが適切であると言えるだろう。
ここでは、本書で描かれているシリコンバレー精神を

  • 「当事者」たり得なかったインターネット産業初期を知るということ
  • シリコンバレーの何が人々を惹きつけるのか?
  • 日本のインターネット産業とシリコンバレーのそれ

という3つの視点から考えてみたい。

「当事者」たり得なかったインターネット産業初期を知るということ

よく先輩から「ネットスケープが誕生して、すごい勢いで成長して、巨大なIPOしたのを見て、インターネットはいける、って思ったんだよね。」と言われることがある。ところが、私はネットスケープIPOした1996年はまだ高校生であって、ネットスケープのすごさを説かれても「そうだったんですね。」としか言えない。私に限らず、当時はインターネット産業の「外」にいたけれど、今は「内」にいるという方は案外多いのかもしれないと思う。

そんな方は、本書を是非読むべきなのかもしれない。本書の内容を大きく二分するならば、今となっては珍しくなくなった「独立志向、個人主義」、「Linux vs Microsoft」という2つに分類できると思う。
特に後者のLinuxの章は圧巻だ。僕たちは当たり前にオープンソースというものを受け入れて、利用してしまっているけれど、よく考えれば、オープンソースプロジェクトに参加するモチベーションやそのadministration(こう書くとエンジニアには怒られるかな。)を理解することは、「良いエンジニアが採用できないんです。」という人事担当者には必須であろう。この例のように「何故エンジニアは無償であってもオープンソースに参加したがるのか」という問題はオープンソースの歴史を顧みること以外に解決できるはずがないだろう。
「今となっては当たり前になったこと」がどうして当たり前になり得たのか、が本書には書かれており、インターネット産業の「外」にいた人がそれを書籍で学べることの有り難みを痛感してしまった。

シリコンバレーの何が人々を惹きつけるのか?

シリコンバレーとは一体何なのか?」アップルの再起やグーグルの台頭を見ていると、この問いに答えを出すことは避けて通れない気がする。

JTPAツアーに参加した際に梅田さんも参加したパネルディスカッションがあった。そこで梅田さんが何故シリコンバレーに居るのかと質問されて「天気が良いから。」と回答していたのを思い出した。当時は、「ふざけたこと言わないでくださいよ。」と思っていたが、本書を読んでシリコンバレーの魅力への理解がさらに深まった。結局、本書で書かれているシリコンバレーとは、

  • 個人としてのテクノロジー偏愛主義と
  • 社会インフラとしての直接金融の仕組み

が融合したもの、と言うことができるであろうと思う。

天気が良いこととどういう相関があるのかどうか不明だが、シリコンバレーではとにかくエンジニアが偉いのだ。それがよくわかった。そして、エンジニアが掛け金のでかいゲームに参加できる。これこそがシリコンバレーの最大の魅力なのだと痛感した次第である。

重要なことは、インターネット産業の発祥の地であり、現在の中心でもあるシリコンバレーでは、とにかくエンジニアが(少なくても日本なんかよりは遙かに)重視されている。インターネット産業というのは、こういう思想でルールが作られているということを改めて認識できたことは大きかった。というのは、単にちょっとした工夫を積み上げて、ドットコムバブル的なビジネスモデルをでっちあげたところで、インターネット産業の中では中心たり得ないからだ。これを理解していないネット企業経営者がいかに多いことか。

日本のインターネット産業はExit Strategy不足。その原因はテクノロジー軽視主義か。

最後に、これらインターネット産業のルーツを振り返った上で、日本のインターネット産業とシリコンバレーのそれを少し比べてみたい。国産の検索エンジンを官主導でやるのも良いのだが、日本にグーグルが生み出されるようなインフラは存在するのか、というのは頭が痛い問題であろう。
「長いあとがき」にもあるように、現在のシリコンバレーは(1)VCなどの「入口」の資金が潤沢、(2)Yahoo, MS, Googleなどの大企業が巨大なキャッシュを持っており「出口」の資金が潤沢、という2つが揃いつつある、とされている。実際、MSは長きにわたって有望なテクノロジーを持つベンチャーを買収し続けている(ゲイツの代役に指名されたオッジーもMSに買収された企業の経営者だった)し、Yahooはflickr, del.icio.usと立て続けに買収した。Googleは2社ほど派手では無いが、Keyhole, Picasaなどを買収している。

日本では(1)入口の資金は潤沢になりつつあると感じている。他方、(2)に関しては全く歯が立たないなぁ、と感じる次第である。例えば、

  • Yahoo Japan:Y!本社やソフトバンクの影響力が強すぎるのか、YJ単独でベンチャーを買収していくような姿勢が見られず、機動力に欠ける。
  • 楽天:ユーザーを囲い込んでいる完成したサービスしか買収せず、ID統合のメリットが最優先される。
  • インデックス:90年代的な多角化戦略をインターネット産業で展開しようとして苦戦している。
  • GMOweb2.0的な企業、サービスを抱えるものの、本業とのシナジーが不明である。
  • サイバーエージェント:買収はあまりせず。テクノロジーには疎い。

というのが、やや辛口ではあるが、私の現状認識だ。正直、テクノロジーに長けた企業を日本のネット企業大手が買収するというのは考えにくいように見えてしまう。

インターネット産業の根底にある思想は「テクノロジー偏愛主義」という考えに基づいているにも関わらず、これが現状であるとすれば、日本がシリコンバレーを超えるのはまだ先だと感じてしまう。是非、本書に書かれたシリコンバレー精神=テクノロジー偏愛主義を知り、自らの競争戦略を再定義し、グーグルを超えるような企業を作っていきたいものだ。


本書を読んだから、という訳ではないが、9月はシリコンバレーに行ってきます。

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)

シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土 (ちくま文庫)