「ウェブ時代をゆく」は梅田望夫氏というオブジェクトコードを逆コンパイルしたソースコードそのもの。

献本ありがとうございました。(普通本を買っても、一冊を最後までしっかり読むことなんて無いのに、既に2回も読んでしまった。)

ウェブに携わるエンジニアは「ソースを書けない奴は価値がない」と言いがちだが、ソースを書かない人の価値というのはこういうものか、と納得させられた一冊であった。「ウェブ時代をゆく」は、梅田望夫氏の思想そのものであって、彼の一挙手一投足がどのような価値観の元になされているかをよく理解できる一冊だ。


梅田望夫氏そのものをオブジェクトコードだとすると、「ウェブ人間論」、「フューチャリスト宣言」はそれぞれ平野さん、茂木さんという異才を「入力」したときの「出力」そのもであったと思う。

人間そのものが「オブジェクトコード」だとすると、その人のアウトプット(言葉や文章)は「出力」であると言える。逆に、その人の思想や価値観が「ソースコード」だと言うことができよう。

僕たちは、梅田望夫氏の「出力」を読み、関心を持つ中で、梅田氏自身であるオブジェクトコードや、その背景にある考え方・思想たるソースコードを読みたい、見たいと思いつつも、それはかなわぬ夢であった。本書は、そうした皆の夢を叶える一冊である。本書を読めば、梅田望夫氏というオブジェクトコードがどういったソースコードからなっているかが分かるからだ。

※文系の人用の豆知識は下段参照。


この「ソースコード」は真面目に生き、幸せになりたいと思う人にとっては、垂涎物だ。美しいソースコードが書きたいと願っているエンジニアがスーパーエンジニアのソースを見た時の感動に似ている感覚を味わえる。その「ソースコード」をデザインする根本的な設計思想は、「サバイバル」という言葉で表現されている。とにかく自分が好きなことで、限りなく好きなことだけで、サバイブすること。それこそが、この「ソースコード」が魅力的である理由であるように思える。


僕たち(ネットを愛する若い人たち)にとって、梅田さんというのは有り難くもあり、とても不思議な人だ。コンサルタントベンチャーキャピタリストという職業だけを考えれば、僕たちみたいな若い連中にあまりにも優しすぎる。端から見ても、彼がはてなにしていることは、既に経済的な期待リターンを望んでというレベルからかけ離れているように見える。

でも、本書を読み、何となくその理由が分かった。それこそが彼の志向であり、無意識に行ったサバイバルなのだ。若い時に、エンジニアの道を諦めたと書いてあるが、今でもきっと誰よりもコンピューターやネットが好きなだけなんだ、とさえ思う。


本書が素晴らしいことは間違いない。では、この本を読んだ僕たちはどういった行動を取るべきか。
「高速道路」を走るにせよ、「けものみち」に入るにせよ、好きなことを信じて真面目に生きようという決心だけはついた。きっと、高速道路を走り抜けるにせよ、けものみちに入るにせよ、ちょっとした気持ちの持ちようなんだ、ということを教えてもらった気がする。彼が本書で、自らの経験を回想しながら解説してくれたことで、ちょっとだけ自信がついた気がしてならない。


二回目の通読で気付いたことがある。本書で心に響く文は全て、一人称(私=著者の経験)か二人称(あなた=読者への助言)で書かれていることだ。今思えば、「これからの大変化」を記述した「ウェブ進化論」は名著であるのは間違いないが、大部分が三人称であったように思う。この違いこそが、本書を本書たらしめているような気がしてならない。


ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

(文系の人用の豆知識)

エンジニアの人にとっては今更だが、コンパイルが必要なJavaのような言語では、まずソースコードを書き、それをコンパイルしてオブジェクトコードを作成し、実際に実行するときはオブジェクトコードを用いる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%A4%E3%83%AB

主にコンピュータ・ソフトウェアの開発作業で使用されるプログラミング用語。テキストとして記述されたソースコード機械語で記述された実行用のオブジェクトコードへと変換することを指す。

http://e-words.jp/w/E98086E382B3E383B3E38391E382A4E383AB.html

一般には、ソースコードからオブジェクトコードを生成するわけだが、その逆(オブジェクトコードからソースコードを復元すること)、すなわち逆コンパイルは困難とされる。