情報を「オープン」にするということ

ここ1週間くらいで「OpenID」とか「OpenSocial」って上手くいくと思います?ということを10回くらい聞かれたので、その整理を。


個人的には情報をオープンにすることというのはとても素晴らしいことだし、個人的にもそうしていきたいと思うけど、もう少し冷静にどういうことなのを書いてみたい。
最初に結論を書くと、「OpenID」も「OpenSocial」も上手くいかないと思う。情報をオープンにするというのが機能する(=オープンにすることで場が活性化する)のは、

  1. オープンにするレイヤーでは誰も経済的な競争をしない
  2. オープンにするレイヤーの一つ下のレイヤーで圧倒的な支配者がいる場合

のいずれかだと思う。


前者は、例えばLinuxLinuxはいろいろな流派があるけど、例えばDebianUbuntuのどっちがいけてるかという話はあっても、DebianUbuntuのどっちが儲かるかという競争は無い。基本的にLinux OSというレイヤーではOSごとに経済的な競争が無いことを前提にしている。だからみんなが善意だけに基づいて情報がオープンになるし、経済的ではない正しさ(例えばOSとしての善し悪し)に基づいて意思決定を成すことができる。


後者は、例えばWindowsAPI。OSというレイヤーではもうMicrosoftが圧倒的に独占状況を作り出していて、サードパーティを抱き込みたいから、サードパーティレイヤーは全部オープンにする、というような話。サードパーティはOSのレイヤーでMSに勝負をしようとは思わない(ほどMSが勝っている)状況だから、オープンにすることで全体としてアプリケーションレイヤーでの競争が起こって、便利なソフトが生み出される。


OpenIDは理念としては素晴らしいと思う(本当にそう思う)が、どの会社も(YahooもGoogleも)ユーザーの情報は「自分だけ」が持ちたいと思っている。ユーザーの情報をなるべく多く集められれば、ユーザーにメールを送ったりすることで収益が生み出せることを知っている(ある事業においては、獲得ユーザー数が収益に比例するということを知っている)から、このレイヤーで勝負しちゃう。そうすると前者の条件に反するから、絶対に「どのサイトに行っても1つのIDで。」という世界は実現されない。


OpenSocialも同じで、SNS上でアプリを作る仕様は共通化できても、orkutmyspacemixiが同じアカウントで利用可能、ということにはなり得ないわけで、そうなると発展しない可能性の方が圧倒的に高いと思う。facebookだって、アプリを作る仕様は公開してもIDのDBだけは絶対にオープンにしない。Googleが検索結果を取得できるAPIを公開しても、botが集めた世界中のウェブページのDBを公開しないのと同じ。
OpenSocialは、対Facebookという対立構造を作って業界全体を煽り、Facebookの急成長の影響を少しでも小さくしたいというGoogleの戦略にしか見えません。余談。)


だから(繰り返しになるけど、情報をオープンにすることというのはとても素晴らしいことだと思うが)、世の中で起きていることを正しく理解するという意味では、情報をオープンにするということが誰にとってどう嬉しいのかということをしっかり考えなきゃならないと思った次第。
特にそこには必ず経済的な動機があるのが普通なので、話が単純ではないわけです。